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撮影日 2007/11/10

伊覩(いと)神社

又筑紫伊覩縣主祖五十迹手、聞天皇之行、拔取五百枝賢木、立于船之舳艫、上枝掛八尺瓊、中枝掛白銅鏡、下枝掛十握劒、參迎于穴門引嶋而獻之。−−−日本書紀 「巻第八 仲哀天皇」より−−− また、筑紫の伊都の県主の先祖である五十迹手が、仲哀天皇がおいでになるのを聞きつけて大木を根っこから引き抜いて船の艫に立て、その上の枝に、八尺瓊、中の枝に白銅鏡、下の枝に十握の剣をそれぞれ掛けて下関の彦島でお迎えした。

周船寺駅前から東に歩き、公民館前の橋を渡った右手にあります。仲哀天皇と神功皇后が熊襲退治のため、九州に出陣されたおり、伊覩(いと)の県主(地方長官、県知事のようなもの)である五十迹手(いとで)が、出迎えました。 そのいさぎよい態度を天皇は誉められて、「伊蘇志」とおっしゃいました。これより後、五十迹手の治める国をイソの国、それが訛って伊都国というようになりました。近くにある丸隈山古墳は五十迹手の墓といわれています。