松浦佐用姫(まつらさよひめ)の伝説
海原の 沖行く舟を帰れとか 領巾(ひれ)振らしけむ 松浦佐用姫
|
6世紀なかごろ、朝鮮半島ではわが日本の友好国任那、百済が新羅に侵略されようとしていた。日本はこれを阻止しようと松浦(マツラ)、今の唐津周辺に軍隊を集結していたころの話です。
陣頭指揮をとる為、中央よりやってきた大伴狭手彦は宿舎として使っていた土地の篠原長者の家にいた佐用姫と親しくなりやがて夫婦となった。楽しいことは続かないもので、そうこうするうちに戦争の準備は着々と進み、狭手彦は朝鮮に向けて出兵することとなった。別れの時、狭手彦は銅でできた鏡を佐用姫に渡し、出航していった。佐用姫は別れを悲しんで、鏡山に駆け上がり狭手彦の船が唐津湾を出て行くのを見て、声の限りに狭手彦の名を呼び、着ている衣を力の限りに打ち振った。これにより鏡山は別名領巾振山(ひれふりやま)というようになった。 別れの悲しさのあまり心を乱した佐用姫は鏡山を降りて川を渡り東松浦半島の北にある加部島(かべじま)の天童岳で船を見送ったが、一週間泣き続けとうとう石になってしまった。 (天童岳山頂にある佐用姫の像。呼子大橋で加部島に渡り、左折して観光用ヘリポートのわきの道を登って行くと頂上に立っています。クリックすると大きな画像を表示します。) |