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撮影日 2004/02

都府楼(大宰府政庁跡)

かつての「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれる大宰府政庁のあったところです。
朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)で唐と新羅の連合軍に大敗した日本は危機を感じてそれまで今の南区大橋付近にあったとされる筑紫官家を博多湾より遠ざけてこの地に移しました。

 

また同盟国である百済(くだら)の識者の知恵により四王子山に大野城を、佐賀の基山に基イ城を築きました。また水城(みずき)と呼ばれる堀と堤防で敵の侵入を防ぎました。大宰府はこの政庁のことを指し、太宰府は一般的な太宰府市や太宰府天満宮のことを指します。当時は全国に大宰府が築かれましたが残っているのはここだけです。

 


※糸島の高祖山にある怡土城は遣唐使の吉備真備(きびのまきび)が大宰府防衛を目的に756年から9年かけて作った大陸様式の山城です。